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いつから仏壇や位牌を祀ってたの?

魂棚を祀っていた日本人

仏教が伝わるよりもはるか以前、日本人は独自の死生観を持ち、先祖棚や精霊棚、魂棚と呼ばれる棚で先祖を祀ってきました。棚といっても棚板一枚のきわめて素朴なものでそこに季節の花や供物を置いていました。この棚が変化し仏教と結びついて今日の仏壇が形成されていったと考えられています。

仏教の伝来と共に

仏教の伝来と共に
そして今から約1400年前、仏教が日本に伝えられました。それから100年ほど経った飛鳥時代、天武天皇が「諸国、家ごとに仏舎を作りて、すなわち仏像及び経を置きて、礼拝供養せよ」といったことが『日本書紀』に記されています。天皇自らが、各家にそれぞれの仏壇を置いて、仏様を礼拝供養することをすすめたわけです。それは、西暦685年のことでした。 現在、残されている最古の仏壇は「玉虫の厨子」と呼ばれるもので、奈良の法隆寺にあります。玉虫の羽で装飾されており、当時はたいへん美しかったと思われます。しかしこのころは、まだ仏教は貴族階級のものであり、一般の庶民には縁のないもので前述のように魂棚を祀り、祖霊祭祀を行っていました。

金仏壇の始まり

仏教が一般庶民に説かれるようになるのは、鎌倉時代のことです。比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄の弟子たちが、仏教の教えを積極的に庶民に説いてまわりました。法然は浄土宗を開きました。法然の弟子の親鸞は浄土真宗を開きました。道元は曹洞宗、栄西は臨済宗、日蓮は日蓮宗をそれぞれ開きました。こうして庶民へ仏教が浸透していきました。

また、鎌倉時代には、禅僧達によって中国の儒教の祭具だった位牌が日本に持ち込まれまれました。中国では「神主」などと呼ばれていて、祖廟の棚に置き、名前などを記入した紙を貼って、先祖を祀る道具でした。

そしてさらに時代が下がって室町時代の中期のこと、浄土真宗に連如という指導者があらわれました。連如上人は仏教の信仰を深めるために、皆が仏壇を持つようにと説き仏様を祀る場所としての仏壇を庶民が持つようになりました。これが金仏壇の始まりです。しかしこれは浄土真宗だけのことであり、一般庶民が仏壇を持つのはまだまだ後のことです。

先祖を祀る唐木仏壇

江戸時代初期、幕府はキリシタン信仰の禁止を打ち出し、すべての庶民がどこかのお寺の檀家になるようにと寺請制度を作りました。お寺に檀家の名簿を作らせ寺請正文を発行させたのです。それと同時に檀家は必ず仏壇を持つことを命じられました。こうして仏壇は発展してきたのです。

金仏壇の他、黒檀や紫檀などを材料に使った唐木仏壇が登場します。浄土真宗以外の宗派では、この唐木仏壇が主流となり、仏壇を仏様を祀る場所としてばかりではなく、民間信仰と融合し、ご先祖様を祀る場所と考えるようになり、浄土真宗とは異なる発展の仕方をするようになります。つまりここでようやく先祖を大切にする日本古来の風習と結びつき、位牌や過去帳などを置く今日の仏壇の基礎ができたのです。

現代人の仏壇

時代は下り1960年代、つまり日本の高度成長時代、仏壇の需要が急激に伸び2500万世帯にもいき渡るようになりました。しかし生活が洋風化し、都市化や核家族化が進み仏壇というものをとかく軽視されがちになり仏壇の所有者数は減少していきました。特に都市における住宅事情が仏壇を置くようなスペースを許さないといったことも仏壇離れに拍車をかけました。また無宗派層が増え、宗教は信仰しないが先祖は大切にするという考え方が一般的になってきました。

そんな中、1984年、現代仏壇の原型となる「自由仏壇」が生まれ、それから7年後の1991年には現在の「現代仏壇」が完成しました。現代仏壇の誕生により、再び仏壇の需要が伸びつつあります。「洋間やリビングに合った仏壇」ということで人気を獲得し、仏壇が家族の絆を深めるのに大きな役割を果たしているということが再評価されるようになってきたのです。


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